星はあこがれ

結局、何も変わってないし進んでないよね、と思って、どうにかしようとすればするほど糸が絡まっていくような感覚。
自分もいつか、そうなりそうな気がしたのか。
交通事故とか変質者のニュースを目にする度、必ず一度、加害者側の視点に立ってみる。心掛けているわけではなく、癖である。
故意に悪事を働くつもりはないけど、疲れるからもうテレビはつけなくなったし、車の免許は取らないと決めた。
自分のことは、どこまで信用していいかわからないから。
つい最近、幼馴染との会話で「どのくらいの罪を犯したら、縁を切る?」という話になったことを思い出した。
なんちゅう話題や、と笑い合いながらも、こんな会話ができるんだ、と体の中がちょっと熱くなった。嬉しかった。
お互いに、たとえば殺人を犯してもそれだけの理由があったのかと考えるし、どのくらいとか分からへんよなと笑ってたけど、その子は愛猫家で、後日「そういえばあの時の話やけど」と、動物虐待は嫌やなぁと話してくれた。そういうところが好きだと思った。
以前には、いつの日か私がその子のことを「たまたま家が近くて学校が同じだったから、今日まで関係性が続いただけ、運命とかじゃない」などと言ってしまったことがあって(最低)、そのことを謝ろうと思ったのに、聞いた瞬間なんてこともないように豪快に笑い飛ばしてくれた出来事もあった。
私の人間関係の築き方は、回避型というやつに近いのかもしれない。それでもこの子の前では、安心していられる自分に気づいた。
多くの対人関係において、不安を感じていても仕方ないからと妙な漢気を発揮して、ぎりぎりのところまで攻め込んでは、何もなかったような顔をするから何を考えてるかわからないと他の人からは言われてしまうんだろう。
自分の性質はわかってきたし、うんざりもしているけど、納得できないまま死んでいくのが一番怖い。
このくらいの壁なら、別に一人で越えたって今までと何も変わらない。
誰かの手を借りて、前に進むことが今の私にとって命題なのかもしれない。作業ではなく精神的な意味合いで。
きっとすでに、その誰かを見つけるというフェーズにもなくて、向かい合うべき存在が目の前にある。幼馴染だけじゃない。さらには、それがきっともう、一人や二人じゃないということ。
つくづく”考える”ことが苦手な星の元に生まれたから、長い時間を要するだろう。これを言い訳だと言われてしまったら「じゃああなたが、私の人生をやってくれますか?」とか思うくらいには、拗れに拗れてしまってもいる。
私という人間の✩成長物語✩に、他人を巻き込むことにどうしてもずっと罪悪感があった。
認知の歪みというやつなんだろう、だって友達に対してそんなこと思わないもの。
お前の人生に巻き込んでくれよ、と友達には思うから、自分を友達だと思って接してみることにする。
そんなさなか、最近できた曲のタイトルは「アストラシー」とつけました。
ライブで歌ってみて、カタカナ表記に決めた。カタカナって可愛いよね。
(Astra(星々)+ Sea(海))
もう何年も前に、前述の幼なじみと一緒に夜道を歩いていて、夜空はクジラのお腹の模様みたいだね、と何の躊躇もなく言ってしまった時の感覚を歌の世界観に落とし込んだタイトルです。
歩いているのが実は海の底だったりして、とか、星に憧れ、ライトを煌々と光らせて走る車が魚のように見えたこととか。
『私は幸せだよ 今、心から』という歌詞を書いた。
内容的には、真っ直ぐなメロディーを歌いたいところだが、ライブで歌う時は気分によってセブンスのコード(不穏な雰囲気の音)を挟んだりして、地に足が着かないようにしたりする。
少しでも不安な気持ちがある時に、嘘はつけないからたまにそうする。まだ、三回くらいしか歌ったことないのにね。
ちょっと前までは音源として採用したいメロディーでしか歌えなかったけど、そのぐらい自由でいいのよと教えてくれた人がいたから、やれるようになった。その人にも、とても感謝している。
具体的な歌の内容については、またの機会に語ることにする。
この秋シーズンは、ライブが減ります。
今年も大好きな七尾旅人の「八月」をカバーすることなく、大嫌いな夏を見送ってしまうなぁ。
制作期間というやつを、どこまでできるかわからないけど、どこまでもやってみようと思います。
なるようにしかならない人生を、なりたいようになるためにやっていくのが楽しかったはずなんだよなと、初心に立ち帰った今日であった。
思いがけず、地域の不審者のおかげで、心の曇り空に光が射した。
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