暗闇の中でこそ

 夏風邪を引いてしまって、声が出せない間に書き溜めていた文章はなんだか端々が尖っていて、自分らしくないなと感じた。

福岡でステージを終えた後、いよいよ声が出なくなったとき、ひとりだけ圏外まで飛ばされてしまったような孤独感があった。

あの人も、声を失った時こんな感じだったのだろうかと、ライブハウスの黒い床を見つめながら、途方もないその暗闇に思いを馳せてた。



"自分らしさ"が窮屈に感じたのは、単に体調不良の影響か、それこそが私の本質ということか。

(喉をいわしてしまい、先日の岡山でのライブをキャンセルさせて頂きました。ご迷惑とご心配をお掛けしました。)


大雑把にまとめると、私の性質で一番困っているのは私なんだから、部外者は黙っててよという内容。面と向かって誰に何を言われたわけでもないのに、とんだ口ぶりである。でもようするにほんと、このまんま。



身体の不調から来る不機嫌さの方が、酒に酔ってる時よりよっぽどたちが悪いこと、自分でわかってるから自然にひらくまで待っていた。



溢れる言葉が上手くまとまらない時、過去の自分の日記を読み返しては、生きる感覚を取り戻す。

油断すると私は、うっかり信号無視でスキップして横断歩道とか渡りかねないから、目で触れる文字や、音楽なら音を含め脳内でなぞる文字がいつも最後の抑止力となる。



活字というのはどうして、どんな暗闇でも本来の光を失わないのだろう。

どんな気持ちの時でも、同じ作品の同じフレーズに度々救われた。

自分の音楽についても、そう思ってくれる人がいたらいいな、と思った。メロディーに乗せたから最大限に響く言葉、心まで最速で真っ直ぐ届く言葉というのはやっぱりある。





昔、バンドサポートでベースを弾いてくれてた子が「万理音ちゃんの歌は、音楽なんか聴きたくない時にも不思議と聴けるねん」て言ってくれたのを、いまだに思い出して何度も心の栄養にしている。

音楽の可能性は、まだまだ未知数なのだと何年続けていてもワクワクする。







口から出た言葉はもちろん、指先で紡いだ言葉も一度誰かの目に触れれば二度と取り消せないもの。散々学んできた。


悪意やはたまた不信感/不誠実は思った以上に相手に伝わるものだし、強い言葉は、身を滅ぼしますよ。慎重に、大切に、扱うこと。

今一度、自分自身に誓って。









p.s.

好きなひらがなは、明朝体の『ふ』。

駅のホームで並んでいて次の電車まで15分ぐらいあった時、待ちながら読み進めていた小説の文章の中で急にその一文字だけが浮かび上がって見えて、頭から爪先までまじまじと見つめ続け、興奮しながらあっという間に電車が来てしまったことがある。

我ながら、変態かもしれない、と自覚した瞬間。









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