音楽の根源
東京へ遠征ライブが決まってすぐ、好きな画家が参加する展示が同じく東京の森下という地で開催されることを知って、本当に嬉しかった。
このタイミングで、と照らし合わせる運命のような何かがあったわけじゃないけど、この目で生で好きな作品を観られる機会なんて大阪ではなかなか無いから、特別な楽しみが出来て八歳の子どもみたいにわくわくしていた。
良くも悪くも内省的な性分で自らを重ね合わせた感想ばかりだから、それをあまり伝える気にはなれないけど、とにかく「絵」に救われるような気持ちを抱いたのはその方の作品が初めてだった。
初めて見た時、初めて見た気がしなかった。
自信を持って感想を言えるくらい、自分の中の言葉を増やして、磨き続けたいと思う
芸術と呼ばれるものに触れることは私の人生に於て、すべての希望なんだと再確認した。
数ある展示の中でその方の作品は四つあり、期待していた通りの鮮明で色濃い印象を放っていた。
そのまま夜行で帰る予定だったから嘘みたいな炎天下に馬鹿みたいな量の荷物と機材を持って、知らない街まで足を運んでよかった。
おこがましいようだけど、私も同じことをやっているのだと、やらなければいけないのだと
期待通り、期待以上でなくてはならないのだとそう感じた。
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今読んでいるのは、官能小説よりも官能的なハードボイルドタッチの小説。取り分け好きなジャンルというわけでもないが、好奇心で手に取った。
何もかもが冷静なまま剥き出しの文章を取り込んで、私もこんな風に剥き出しになりたいと思った。
自分一人だけで興味を持てることなんて、この好奇心がどこまで保つかなんて、わからない。
みんなが皆んな、こういうことを知らないふりでもしてんのかなぁと思ったのは、自分も含めて同じこと。
ただそこにあるだけの、海のような存在に、昔からずっと成りたいと思っている。
本当は今はもうどこにもいないあの人が好きだというから、選んだ本
一人では、同じものを聴き続けてしまうし
同じジャンルばかり観続けてしまうし
何を食べればいいかわからなくて食事をするにも同じようなメニューばかり。
何もないのに、何もなかったから、失ったものがある。
無為に過ごす日々の恐ろしさを知っているから、思い出しては時折り息が上がる。
いつか、なんて思っていたらそのいつかは一生来ないのだろうなと
東京で、今の自分には手が届かない絵画の値段を見て思ったんだった。
現実問題はあっても、同じような選択ばかりしていては、同じような未来しか訪れないということ。
既に持っている作画集を、保存用として二冊目を購入して帰った。特典のポストカードが付いてきて内心で小躍りする程喜んだ。
(自分のワンマンライブでも取り入れたいなって少し具体的な案が浮かんだりもした。)
また行きたいと思えるとても雰囲気の良い、素敵なアートギャラリーでした。
私の中にも、そういう場所があったらな。
流れた涙の色が透明で本当に只の塩水という感じがして、ほっとした。
前回のブログの続き、こういう奴がふと死んでしまうんだろうなと思ったのも事実だけど
私なら大丈夫、明日からもきっと
そう思えたことを、忘れたくない。
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「私なら大丈夫」というありふれた言葉がファンにとってはとても感慨深いです。
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