楽屋にて



 久しぶりに、本番前に泣くという出来事があった。
ネガティブな感情から来るものだけど、我慢してしまったら余計惨めな気分になると思ったから自分のこころに従った。

そう、泣いても惨めだし泣くのを我慢しても惨めになるし、もう何となくわかってきたような気がする。

高架下の楽屋内、頭上を通り過ぎる電車と洟を啜る音だけが響いて、意味がないわけじゃないのに、でも何かあるわけでもないよねと思ったら、リハーサルの前に涙はすっと引っ込んだ。

涙の理由は明かさない、だからどこを取っても拙い。

えらく便利なシステムが私の身体にも搭載されているような気分になって、でももうそんなロボットみたいじゃないはずだよと一人頭の中で持ち直す。

ギターの弦を巻いた部分を星の形にしているのを、リハの準備中に女の子のスタッフたちがこぞって可愛いと言ってくれて、心の底から暖かい気持ちが湧き出したりもした。



「お前は本番前に塞ぎ込むより、行き過ぎなぐらいハッピーになった方が良いタイプだ」と言われていたことを思い出す。その通りだと自分でも思ったんだった。

迷惑をかけてしまうのは私にとってとても怖いことだけど、それでも諦めずに人と関わっていなくちゃ、私の足は常に地面から少し浮いている。繋ぎ止めてくれるのはこの目に映る自然とか、大好きな人たち。


それでよかったのではないか。






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ここ最近も、憂鬱だった。不便なことが多くても、こんな自分とその愛を生き切るしかない人生だと教えられた。

生きづらいでしょう、と言われるけどそういうものだとはいつからか理解していたから、

勝手な言葉だとも特段思わない。でもわかってもらえたような気分にもあまりなれない。それで、構わない。






自死を選んだ登場人物の「修学旅行当日よりも前日の荷造りの方が楽しくてわくわくするの」という生前の言葉に対する、

そんなことだから死にたくなってしまうんだと思った、という主人公の発言に身につまされるような思いがした。

この身に起こる全てのことは意味があるような気がして、くたびれたページをもう一度捲って読み返した。

古本だから紙焼けが、また愛しい。







てめえの課題を、さも君のことのように押し付けてくる大人に騙されてはいけないよ。私っていまだに後輩なんだけど、生きて来た年数に関わらないことなんて山程あるわ。

静かに状況は変わり続けるから、そういう瞬間を目ざとく見つけ出していかなくちゃ

人のせいにして自分の値打ちを下げるようなことはしない。

一度切れたら二度と戻らないから、縁と呼ぶ。






だけど傷ついても、相手の幸せを祈る他ないんだろう。インスタント的な優しさではなく、それが生きる術(すべ)。




変なおまじないでも、役に立つ時もあるんだなぁ。

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