でっかい犬飼いたい(でもきっとお世話が大変)
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一応、ブログは書き終えたら読み返すようにしているのだが、全て踏まえて今回のタイトルはこれでした。
久々に号泣をかまして、何ていうかとても生きてる実感がした。誰にもばれないように電車の中で、こんなんばっかりやなとか思いながら。実に数ヶ月振りの事だった。
何にも依存できないと思うから、普段は性別も年齢も何も意識の外にあって、弱みを放つとそれらが一気に帰ってくる感じがするというか。後からは何事もなかったようにまた元に戻すだけなんだけど。
一度ごまかしてしまったら、付随する何もかも端から順に崩れていくから、それが怖くて余計にストレスを抱えてしまった気がする。
私は26才OL兼シンガーソングライター。平日は満員電車に揺られながら、作りかけのフレーズ同士が、無理矢理繋ぎ合わされたメドレーみたいに頭の中で流れ続けた。
今も殆ど人間不信みたいなところがあるのは事実だけど、それは他人の中の自分を見つめているのであって、本当の意味で人と向き合ってはいないこともわかっている。
これ以上このまま歳を重ねる続けることはきっともう限界だから、溢れ出したのだろう。表面張力で何とか保っていたような。私は一体いつまで、いつになったら?きっとまたどこかのタイミングで、がらっと雰囲気が変わってしまっても、変えてしまっても、大丈夫なんだろうけど。そんなに気負わなくてもいいよと人は言ってくれる。
ここからどうしていけばいい?もっと中身のある話をすればよかった。なりたくなかった大人に片足を突っ込んだようなあの瞬間、思い返すととても絶望的なことだったのかもしれない。
そんな風に言うなよ。そのあと自然に戻るから、明け方という時間帯にはやっぱり不思議な力がある。
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幼い頃の記憶はいつも薄紫と水色の混じったような空で、子どものくせに、眠らず幼稚園に行くようなことが何度もあった。自分以外の人間がみんな眠っているし、どこも開いてないから楽しいことも出来なくて、夜が嫌いだった。夏は夜がみじかくて、冬の朝はなかなか来ないことをそのくらいの年齢の時に覚えた。
父は年中無休で明け方頃に起床して、土日であれば会社に連れて行ってくれる。よくわからない謎の工作をするか、Windowsのパソコンでルールもわからないゲームをして遊んでいた。
幼い指ではとても届かない、ネックの太い父のガットギターを遊び道具にもしていた。
あの頃から黎明は続いていて、ずっと前から決まっていた、そんな現在の生活なのかもしれない。とか考えたりした。
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いつも何かに護られている気がするのはきっと、道端に咲く花に、これからの時期なら金木犀なんかの匂いに、肌寒い夜に虫が鳴く声とかに、心が赴くからだと思う。自然に触れる度、素直に幸せを感じ取れる。
独りじゃないと思えるのも、きっとこういうことが要因しているんだろうなと思ったり。
涙を流すことで、おかえりって自分に言ってあげられたような、不思議な感覚になった。ピンクに近いオレンジ色の温かさ。
人生は何も自分との闘いだけじゃない。いつ何時も地に足を着けてどっしり構えていなくちゃいけないなんて、そこまで気負う程の事もきっとない。頑なな私に、風の音が語り掛けてくれたような、空想と言われても仕方ないようなことを確かに感じていた。
全部、これでよかったんだ。
大好きな人に贈りたい言葉を集める日々の、何と幸せなことか。
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