海のように



 変わり者と呼ばれる度に、死にたくなることなんていまだによくある。

愛か悪意か、言葉として口を衝いて出た瞬間にその差は歴然だが、それ自体は別にどちらでも構わない。この人にはわからなくて当然か、と理解する程に、相容れない事実に漠然とした寂しさばかりが募る。こんなのが一生続くのかと思うけど、自分だってわからないもの、人のことなんて。

女性に生まれたからにはこんな不安定さもお手のもの、そう思おうとしていたけど男性に生まれていてもきっと私は今と何も変わらなかっただろう。


本当は誰もそこまでなんて思ってなくても、大袈裟なことを想像する度に、頭の中で何かが打ち砕かれて、血塗れの映像が浮かぶ。その何かが何なのかって、目を逸らしているわけじゃなくて本当に判らない。多分、虫とか魚とか。

性別や年齢は、大いに関係はある。生まれ持った性質、そこにこれから積み重ねていくもの。はやく皺々のおばあちゃんになりたいけど、生き急ぐのもよくないとはわかっている。人の話を聞かなくなってきたら人間お終いだということも、ちゃんと。

人生何が起こるかわからないから、私が憧れているような歳の重ね方が出来るとも限らないけど。病院に来ているはずなのに、なぜか元気そうに見えていつも笑顔が可愛くて、纏っている時間の流れが穏やかで、応対するこちら側がパワーをもらってしまうような、そんな。職場の話ですけど。この先の健康もそうだし、乗ってる電車が脱線したり、工事現場の前を通る時に頭上に鉄材が降ってこない保証なんてどこにもないから、そもそもそこまで生き延びられるかというのも勿論ある。


若干話が逸れてしまったが。

今なんて、色んなことを言われるうちが華というわけだ。





将来は、海になりたい。

海洋生物なんてきっと目の当たりしたら想像以上に大きくて(小さくて)、さまざまな色や形をしていて、肌表面がつるつるしていたりざらざらしていたり、計り知れないことが恐ろしく苦手だったけど。

同時にそれが面白いとも思うから好きだ。昼間には透明な光がさす海中(それでも深海までは届かないのかな)深夜にはこれもきっと想像以上の、私が知らない暗さと冷たさが内在していて、一度も潜ったこともないのに憧れている。

かなづちで上手く泳げもしないけど、だからこそ私が恐れているものも、その全てを内包する海に憧れてしまう。



少し前に知り合いと飲みに行った時、外国の海でクジラと泳いだ動画を見せてもらったことがある。

そのクジラの大きさは「この居酒屋のここから向こうまでくらい」と教えてもらって、メートルくらいかな、狭い店だったけど想像したら、震えた。

私はまだ日本の外にも出たことがない。人一倍思い悩んでしまう性格だから、水色の空や海の向こうを思い浮かべたりすることで、内側から解放される。

(何なら海鮮料理を前にしてもその魚達が泳いでいた姿を想像してしまうきらいがある)



こんなにも不器用だからこそ、理想ばかり思い描いてしまうわ。

でも欲しいものなんてきっとそんなにないのは、自分にとって本当に必要なものは、自然と与えられるものだと思うから。

同じように、失うことや奪われることも昔から不思議とそんなに怖くないのは、必要なものだけがきっとここに残るから。

※なくなったものが必要なかったという話ではないが、それについては長くなるのでそのうち。



誰にも、関係のないこと。私だけの方針に過ぎない。

それでもこの身をもって、大丈夫と知っていて、そう言えるような音楽を。したい。

弱く見えるでしょうが、そんなことはないのよ。

いつか聴いてくれる誰かにとっての、海になれるように。















p.s.

『ブラックフライデー』って結局何だったのだろう。物が安く買えることは何となく知っていたけど、名前の由来が気になったまま、切らしそうな生活用品がいくつもあるのに日々に追われて結局何も買わなかった。生活力の無さがこういうところに出る。プレミアムフライデーはどうやらなくなったようだね。何だったのだろう。



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