【日記diary】栄養のあるごはん



 AM11:30


栄養のあるものが食べたいなと思い、魚を煮て、味噌汁を作り、期限切れぎりぎりの納豆に期限切れぎりぎりの卵をぶち込んで食べた。

ここ数ヶ月わけあって家族のご飯を作っていたので(もうやらなくてよくなった)、料理の楽しさというものに気が付きつつあったが、自分のためだけにやる料理はやはりそんなに楽しくなくて、新しい趣味になることはないなと感じた。

料理が趣味だと言う人って、賢そうだなって個人的に凄く思う。きちんと段階を踏んで、作って終わりじゃなくて盛り付けまで綺麗じゃないと料理とは呼べないような気がするから節約以外であんまり作る気に私はなれない(私の悪い完璧主義が出ている)。



昼寝ばかりしていられない。休日でもやることはたくさんあるのだ、重たい身体を起こしても頭はなかなか起きてくれなかった。

インスタントのコーヒーを切らしていたので代わりにカフェイン剤を飲んだ。体に悪いからやめなよと言われるけど、悲しいことも嬉しいことも鮮明であるから、この目で見ていたいのに。煙草やお酒とどちらがより体に悪いだろう?

布団から這い出て、出かける支度をした。


自分の足のサイズより少し大きいサイズの靴を履いた時に、そういえば今日はカンナちゃんの誕生日だな、とふと思い出した。

小学校に入って、初めて出来た友達。家ではいつもドレスを着ていると言ってた友達(もちろん嘘)。後に地元の中学を代表するギャルになる友達。学年で一番スカートの長かった私はこの時点でもう元・友達なのかもしれないが、勝手にそんなふうに呼ぶのも失礼だよな、って言うのも失礼だよな。今もすぐそこの実家にいるのかなぁそんなわけ、ないか。懐かしむことの好きな牡牛座は、マンションの前を通る度何となく、思い出していた。

我ながら気持ち悪いかもしれないので同級生がこのブログを目にしませんように。しないと思うけども。






「エモい」という言葉を耳にする度、「趣がある」と言え!とアレルギー反応を起こすみたいに頭の中で思っていた。いざ言葉を発音する時に「オモムキガアル」って七文字もあるのは確かに面倒なので、たった三文字で瞬間的に表現されてこそそれなのか、と青さが勝った夕空を、電車の窓から眺めつつ考えていた。



目的地に到着して気づいた、到着先の住所の入力を間違っていた。

駅からだいぶ歩いてから気がついたので、途中で電車に乗る気にもなれずそこからまた30分ぐらい歩いた。

考えなくていいことばかり考えるから、いつもこうなのだ。歩くのは好きなので楽しかったけど、また一つ自信を失う失敗体験を積み重ねた。


こんな私でいいのだろうか。

本当にこの場所にいていいのだろうか。

離れていった人のことを思い出す。何か原因があったように掘り起こすけど、運命なんて言葉を使う気もないけど、多分悪者なんてどこにもいないんだろうなと、育ってきた環境が教えてくれる。




甘えてるけど、甘えたくない。

本当に大切なことは、言葉には出来ない。

それなのにどうして音楽は、こんなにも真っ直ぐ胸に響くのか。

ありきたりなものこそ特別と本当にそう思う。




帰りには本を二冊買った。新品のやつ。

映画を選ぶセンスは本当にないけど(TSUTAYAで借りたホラー映画が全く面白くなくて怒られた経験がある)、自分が好きな本を見つけるのは得意だと思うので、読むのが楽しみだ。やることをやってからの、ね。







p.s.

先日は心斎橋でライブでした。

聴いてくださった方、配信で観てくださった方もありがとうございました。

きらぴかの展示もあって、個人的にはこのよくわからない隕石(失礼)みたいなのがお気に入りでした。よくわからない方が好きなんだよな。

芸術なんてそんなもので、他人にわかられることが全てじゃないかもって、少し尖った思想めいてるかもしれないけどそう思いました。

コメント

  1. ぼくは、昨日はゴスペルを歌っていた。京田辺市。家は、俺の実家しか用意できないので、プレゼントは他のものにします。

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