つまらないの中に自分がいる
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photo by tamy
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この世の終わりに本当に信じられるのは自分か、他人か、考えていた。そんな日がいつか近い未来、実際に訪れるような気がしたから。
本当は誰に嫌われたって問題なかったのに、人目ばかり気にして、せめて自分にだけは嫌われたくなかったな、なんて。私だってはなから人間不信で、不便なところだけ取り繕って何とかやってきた。
どうだっていいのよ、すべて。
人見知りなんてしてたって何も得しない。誰のことも信じないなんて口にしようものなら損するだけ。秘密主義であることを秘密にしなくてはならないことだって分かっていたけど、どうやらそういうのもこの際関係ないらしい。
何も出来ない奴だと思われているならその方が楽だった。自分の為だけに生きていけるから。
でもそうじゃないのは、自分の為だけに生きることが自分の為になるとは到底思えなかったから。いつまでもこのままでいていいはずがないんだ。まだ自信は足りないけれど、私が誰よりも私を愛している。
独りぼっちだなんてとんだ思い上がりということに気づいたのは、割と早い段階だったと思う。
どんなに他人の幸せを願っても、その人自身が望んでいなければ、その気持ちすら負担になるということ。
何でもしてあげたくなるけど、その人がしたいことなんてその人にしかわからないということ。
私のことも、そう願ってくれる人がいたのに失ってしまったのは、私が自分で幸せを望めなかったからだ。そんなつもりはなかったけれど、不幸が似合うとばかり信じて止まなかった。それが当たり前だったのに、初めからそこにある幸せの形は何も変わらないから不思議。
どうして気が付けなかったのだろう?
同じように誰かの幸せを、私も願って初めて気づくのだから、人生はいつも間が悪い。それが人生と受け容れる他ないけれど。
つまらないの中に自分がいる、というのは私にとって大きなワードとなった。活字として目にした時、心にずしんと大きな地鳴りがした。
つまらないと思う空間の中で、自分もそのつまらなさを構成している一部であり、大勢の中のただの一人に過ぎない。
その時側にいる誰かが焦ったり不安な気持ちでいたとしても、私はなるべくいつも通り笑っていようと思った。共感なんて、どうせできっこないんだから。
必ずしも嵌ることのないピース、だからこそ人間なんかを愛おしく思えるのだろう。だとしても、この胸の痛みの終着点は本当に、人間の中にあるのだろうか。
何を探してわたしは、生きていく羽目になるのだろう。不安な気持ちは、今も昔も変わらない。
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大丈夫?
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