純度の高い大人 / 気づかぬ高慢さ
知人からの「自分を持っていてすごいです!これからも貫いてください」の言葉に「好きでやってるわけじゃないよ」と少し、昔の癖で思ってしまった。(私のためにくれたメッセージなのに…)
いまだに"不思議ちゃん"扱いが寂しくて、久々に色々と考えてしまった。わざわざそれを演じる人がいるのも知っていて、そういう人との差異は何だろうと考えてみたけど解らなかった。寂しくないのだろうか。辛くないのだろうか。本当に不思議と思う。私はきっと、ただの頑固者だわ。
暗くて冷たい殻の内側から皹を入れて、光を取り込む。そんなイメージで、まさに殻を破ってきたつもりでいた。
難しいことなんか考えられる頭じゃない。それがそのまま伝わればいいのに、口にすれば何段階ものフィルター(人間一個体につき最低でも三つと考える)を通すことになるから発言って難しい。ネガティブでマイナスな思考というのは底が知れないのだから。
本当は、本当に私のそういう部分を評価してくれただけだろう。厭味で言うような、そんな人じゃないってことぐらい、自分よりも他人への関心が高くなった今なら分かっている。相手を目の前にして名前が思い出せない時は平然と訊くし、気になる人物がいたらどれだけ目上の人でも積極的に話を聴くし、近年の私に良くも悪くも躊躇いがないことは事実だ。
「よくそんなこと言えるね」と言われたら、相手に悪意もないのは"今の私なら"わかっているけど、昔の私なら「よくそんなこと言えるね」と口に出さずとも頭の中で言い返したことだろう。
自分への関心が程よく落ちたら、人からどう思われるとか、良い意味であまり気にしなくなっていたのにな。それは形振り構わないという意味ではなく、ましてや人を傷つけてもいいという意味では決してなく、良い具合に肩の力が抜けるようになってきたのだ。
小さく収まっていたって仕様もないから、なるべくありのままに振る舞えるならそれが一番だと、過去を振り返って今思う。
嘘がないという意味で、純度の高い大人になりたいと、そう思っている。
そうだ、後輩に、占い(人間分析?)の得意な男の子がいて。
「万理音さんがたまに変なことを言うのは、真面目で純粋だからだと思うんです」って言ってくれたの、嬉しかったなぁ。自分で書いちゃうと恥ずかしくなるけど。
その後色々あってそいつは泣きべそをかいていたが、そんなことを言ってくれるなんて君の方こそ純粋だ、と思ってしまった。でも言わなかった、言われて嬉しいかどうかわからなかったから。
手の届く範囲ぐらいの存在は、幸せにしたいと思うのは高慢ちきかな。〜してあげるっていう言い方は苦手なんだけれども、本当にそう思ってしまうのだから仕方ない。そのぐらいの気概が必要だとは常日頃から思っていて。
本当はそうじゃないから真面目を装うし、純情なんかじゃないからそう装うし、でもそういうのを努力と認めてくれる人がいると救われる。
自分を貫くことで、高めていけたらいい。
何よりも真っ直ぐに、生きていきたいだけだった。
何よりもまっすぐ生きていきたいだけだった。この一文、スコーン!って、頭に入ってきて、かっこいい!
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