正しく人を嫌いましょう、見下すのではなく

「自分は人間嫌いだ」と思っていた頃って、ただ人を見下しているだけになっていた時があった。他人のことを決め付けて、想像力がないのは自分の方だった。
"宇宙人みたい"とか言われるのも最近は慣れたけど当時は受け入れてくれない他人に対し、貴様と成し遂げたいことなど何一つないから構っていらんと暗黒期の私が思っていた。思って怒っていた。

悲しいことがあった時に、「でも辛いのは自分だけじゃない」と思えるか?
平気で傷つけるようなことを言ってくる人っている。私なら絶対にそんな言い方はしない、と思うような。色んなタイプはあるけれど、そういう人ほど人一倍傷ついてきたんだろうか。私がやさしくなりたいと願うのは、人に優しくされたからだもの。

性悪だって自分で自分のことを言う人は優しくなる努力をしてないだけじゃんとも思っていた。今になって気づいたのは、優しくするもしないもその人の自由だということ。
だから例えば友達なんかは友達というだけで魅力的で、どんなに変わっていても少しくらい意地悪なところがあっても簡単に嫌いになれないんだろう、恋人ともなれば別格だろうね。
そんな風に私もきっとたくさん許されて、無条件に愛を貰ってきた。

自分のことを話さない人はずるいといまだに少し思う、それも自由なんだけれど。踏み込めるようなパワーというか、人間力みたいなものが今は一番欲しい。気高くなれなくていいから、生き様ごと愛されるような人に昔から強い憧れを抱いていた。そういう風に私は生きたいし、なりたい。

色んなものに触れて色んな経験を積んでいきたいと思う反面、気持ちが先走り空回りしてしまうことがある。でも私はいつだって本気で、父親譲りの臆病な性格と母親譲りの度胸と強さで今現在という波を上手に乗りこなしていけたらいいなぁ。って思いました










コメント

人気の投稿