攻撃的な文章を綴る時(大体途中で我に返る)、私は特定の人間に対してきっとコンプレックスを抱いている。
優しくなりたいのと、優しいふりをするのは違う。他人に優しくした分だけ家族に優しく出来なくなるのが辛かった。自分で思う優しさが風に飛ばされて消えていくような感覚。
ここに私が本当に空っぽであることが示されてしまう。ただの内弁慶です。









そんな言い方をされると私はたちまち困ってしまうのに、この人はきっとわかってやっているんだと思った。
思い込んで傷つく思春期みたいなナイーブ、本当は逆で、相手にきっと余裕がないのだ。
大人なら自然とそう思えるんだろう。子どもみたいな大人なんかゴロゴロいて、別に皮肉るつもりもないけど反面教師はたくさんいる。




逆に、憧れている人が身近にいてこんな人を私はいつか好きになるのだろうか。あいつは他人に興味を持たないと言われる一方で、いつか勝手に恋をするだろうか。暫く予定はないけどその時は、誰の許可も取らないことを決めている。他人には興味しかない。





勉強しなくちゃいけないのに今日はとにかく眠かった。眠くて落ち込んだ。
勉強しなくちゃとか、しているとか意外と人は口にする。
赤点を取ってしまっても平気な顔をしていた高校生の頃が今更少し恥ずかしくなった。
昔から算数や数学が苦手で、いつも頭の中がぐちゃぐちゃなのは、きっと数字を理解・認識できないせいだ。
お札や小銭を数える時はそれが絵に見える。時間は絵に見えにくいからタイムスケジュールを逆算して組み立てるというのがずっと凄く難しい。
誰か共感してくれる人がいるのかな?


四の五の言わずに、勉強を頑張りたいと思います。
だけど今日はもうおやすみなさい。(ツッコミ待ちです)





おわり




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